[マリみて] 主人公の任を解く名もなき生徒の魔法の言葉

マリア様がみてる 33 ハローグッバイ (コバルト文庫)

マリみて祐巳・祥子編は、4月に入ってからの「とある月曜日」に3年生になった祐巳が「紅薔薇さま」と呼ばれるシーンで幕を閉じます。

となれば8日を始業式として最初の月曜日、すなわち今日、読了するのが順当なところというものでしょう。

というわけで「物語の中の季節に合わせて読む」という自らに課した制約の下、最新刊の『ハロー グッバイ』をやっと読み終わりました。シリーズものを読み終えると多かれ少なかれ寂寥感を感じるものですが、今回はつとにそれを大きく感じます。

マリア様がみてる 32 卒業前小景 (コバルト文庫)

でもまあ、『卒業前小景』が閉店間際のあわただしさというか、次から次へと注文したままになっていた料理がやってきて一生懸命食べているうちに「ラストオーダーですがよろしいですか?」といった感だったので、それからすると『ハロー グッバイ』は比較的穏やかな気分で読むことができました。

思えば不思議な作品でした。

箱庭のような、それでいて閉じていない、ともすれば囚われる、そして時を越える。

特に「時を越える」というモチーフはこの作品の根底にいつも流れていたように思います。「降誕祭の奇跡」「四月のデジャブ」あたりでは露骨ですが、「いばらの森」「図書館の本」あたりも意識的に時代を見誤らせるように物語が作られています。

これも偏に「リリアン女学園」という舞台設定の為せる技なわけでして。つまり「リリアン女学園」が時代を経てなお変わらないからこそ、時を超えた普遍性を持ち続けるのです。

薔薇さま」という呼称も時を超えた普遍性の象徴です。シリーズ第一巻では薔薇さまたちは読者にとっては「名無しの存在」でした。そして「名無しの薔薇さま」はリリアン女学園のいつの時代を切り取っても必ず存在する、普遍的な存在です。

祐巳はラストシーンで名もなき生徒から「紅薔薇さま」と呼ばれ、そのことによって「名無しの薔薇さま」と同格の存在――「名無しの存在」となりました。

すなわち祐巳は「紅薔薇さま」と呼ばれたことでようやく主人公の任を解かれたことになります。これほど祐巳・祥子編の終了にふさわしいラストシーンはありますまい。