私の過剰反応にさらに反応が

昨日の私の日記『「いずれ限界が来る」発言に過剰反応してみる』(id:okgwa:20040118#p3)の続きです。

上記の私のコメントについて、さらに komiya 氏(id:mkomiya)が うーむ、他からも批判されそうなんで、予防線をはりたいと思います。 とのことで、「萌えについて」と題して非常に丁寧なコメントをなさっています。

あああ、すみません。批判ではないのです(確かに前半は批判っぽく書いてますが)。

私もマリみては萌えじゃないと思うのです。

私は「萌え」についての認識が歪んでいるので、「萌え」と聞くと無条件でやらせみたいなもの(例えばシスプリみたいな)を感じるのですが、多分、本来の意味での「萌え」とは自然発生的なものだと思います。萌えが本来個人的なものであるというのはそういうことなんだと思います。

でも、マリみてに限らず、あらゆる作品は作者の意図とは微妙に違ったところで受け手に影響を及ぼしてしまうと思うのです。だから、マリみてが誰かの「萌えスイッチ」を入れてしまうことはあり得ることだし、マリみてはそういう受け取られ方をされる素地は十分にある作品だと思います。

私は、というと、マリみてに萌えているのではなくて「共感」しています。

プロの作家がすごいのは、何か特定のシチュエーションを描いていても、ちゃんと普遍化してあって読者の共感を呼び起こすことができるところだと思います。

例えばミスチルの曲とか聴いていても(私はあんなかっこいい恋愛をしたことはありませんが)、やはり共感できる部分があって、心打たれる。そこに描かれているのが自分が経験したのとは全く別のシチュエーションであっても、普遍化してある部分に共感できる。

私が具体的にマリみてのどこに共感したかはまさに個人的な話になるのでここで列挙するようなことはしませんが(もっとも、前に3つほど挙げてますけど)、マリみてにもそういう部分がたくさんあるわけです。

そんなわけで、(広まり方は特殊だったかも知れませんが)マリみては「面白い作品」として、広まるべくして広まったように私は思います。

もっとも、私は今のブームを現象としてとらえることができないくらいにマリみてに入れ込んでしまっているのでこういう意見になるのかも知れません。(その割にアニメ見逃したり、ドラマCD買ってなかったりしていわゆる「ファン」としての行動はあまりとっていませんが)

(さらに続きの話題→id:okgwa:20040122#p3)