「いずれ限界が来る」発言に過剰反応してみる

(追記:2004-01-19の日記(id:okgwa:20040119#p2)にこの話題の続きがありますよ)

以下の文章、よく知らない人に喧嘩売ってるみたいで失礼かもですが。

みさきアンテナの komiya 氏による小宮日記(id:mkomiya)で、第三回日本オタク大賞・第一部の感想が書かれてました。この記事によると、コミケの米沢さんのコメントとしてマリみてについてこんなコメントがされていたそうです。

マリみてに関しては、「男性が無理やり萌えようとして、発見してきた」→無理やりなので無理がある。もたない。いずれ限界が来る。

「えええーっ!?」である。

マリみては萌えとかそういうの関係ないだろっ!? 「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」と劇画調で言いたくなってしまった。

さらに(自分的に)驚いたのは、komiya 氏が確かに無理やりだと同調している点である。

うがー。うちらのマリみてへの思い入れはそういうんじゃないんだよっ! マリみては登場人物が生きてるだろっ!?

例えば「祥子さまが、本気で私なんか妹に選ぶわけないじゃない」で泣くだろっ!?

例えば家まで押しかけてきた宿敵とも言える田沼ちさとと玄関先で一緒に泣けるだろっ!?

例えば前白薔薇さまが立ち会い演説会の直前に志摩子にかける言葉、「最後まで責任もちなさいね」という台詞。一見突き放しているようなこの台詞が志摩子にとってどんなに嬉しいか!

そりゃ、最初読んだときはわからなかったさ。でも、今ならわかる。この台詞は「あなたの居場所はここなんだから、ここにいなさい」と同義なのだ。このころの志摩子にとってそう言ってもらえることがどんなに嬉しいか……

──だーっ。

……はぁ、はぁ。まあ、落ち着こう。

確かにマリみてを「萌え」というカテゴリで括るのは無理がある。無理があるのに、無理矢理萌えてる人たちってのはいるのかも知れない。コミケで同人誌書いて云々という人たちは──もっと限定すると、二次創作によって「萌え」を再生産しようとする人たちは──もしかしたらその多くがそういう人たちなのかも知れない。そういう人たちに対して、「おまえらそろそろ飽きるころなんじゃないの?」と言いたい気持ちはわからないでもない。

しかし、もし、仮に、そういう人たちがいたとして、そいつらと我々とを全部一緒くたにされるのは実に不本意である。

──あ。もしかして(もしかしなくても)いい歳して少女小説に本気で感情移入するような男ってのは少数派なんだろうか。まあ少なくとも、全く感情移入できないでいて、今のブームをただの一過性の現象としか見てない人達ってのは割といるみたいだけど……うーん。

(この話題の続き→ id:okgwa:20040119#p2)