まだ声が聞こえる

今日のまなづるさんの日記が切なさ炸裂です。

id:manaduru:20040715

私はそういう生き方激しく同意というか、自分もそういう生き方しかできないような気がします。それは端から見ると、ものすごく不幸なことのように思われるみたいですが。

でも、まなづるさんは幸せだなあと私は思うのです。なぜなら、「自分が死んだら悲しむ人」が自分の心の中にいるからです。

もちろん、誰だって死んだら周りの人は悲しみます。身近な人が死んだら誰だって悲しくなります。

でもそれはぶっちゃけた話、死ぬ当人にはまるで関係のない話です。例えば私が明日いきなり交通事故で死んだら周りの人は悲しむかも知れないけど、それは「私にとっては」もはや感知できないわけで。

死人に口なしとよく言いますが、目も耳もありません。本人は愁嘆場を目にすることも耳にすることもないわけです。──おそらく。

自ら命を絶つ場合も同様です。自分が死んでも自分は困らない。絶望に沈んだときに自らを引き上げるのは『「周りの人」が悲しむだろうなあ』という思いだけです。そしてその思いは自分の中にある「周りの人」に対する思いです。

だから、絶望のどん底に落ちて、自分以外のことなんてどうでもよくなって、「死んだら悲しむ周りの人」が一人一人自分の中から消えていっても、それでも最後に聞こえてくる声があるということはものすごく幸せなことなんだと思うのです。

私は惰性で生きてる分、余計にそう思うわけでした。