本項目のまとめの不在

今週は瞳子を巡ってあちらこちらでいろんなご意見がみられました。瞳子は実は人気者だったんですねぇ(あるいは憎まれっ子世にはばかる、とも)。

私もそれを踏まえて何か書いてみようと思ったのですが、どうも考えがまとまりません。まあ、ちょこちょこと引用しながらつらつらと。

えーと、まあ基本的には、

旧ファンにはすでに語りつくされている事項ではあるんだろうけど

ということですし、おおざっぱには

好き嫌いが分かれる=キャラが立っているということではないでしょうか?

というあたりに集約されますから、今日のこの項目は大いなる蛇足です。──が、様々な意見を列挙することで何か見えてくるものがあるかもしれません。今日に限ってはどれがどなたの発言かを気にするのもやめましょう。コラージュみたいになると思いますが、これも一つの実験ということで。

では、まず瞳子と可南子について。

私はあの二人からは、「山百合会らしさ」が感じられないのです。

その「山百合会らしさ」は、もしかすると、

 どれだけ荒れようとも波乱があろうとも、「これだけは守らねば」という、不明瞭な、でも確実に
 マリみての世界の奥底に漂泊しているその安心の元となる部分

の象徴なのかも知れません。そして瞳子が、

祐巳の大切なものを遠縁の親戚というだけで、大切なものを土足で踏みにじった

ことで、これが壊されたということでもありそうです。

祐巳は、読者のそんな心配など知らず(当たり前)瞳子や可南子を山百合会に積極的に受け入れます。

さて、基本的にはマリみてはほとんどの読者にとって

素直に感情移入できる作品

なのですが、

瞳子や可南子に対して「何とかしなくちゃ」とか「こうしたい」とか
 そういう目的意識がないので、読んでいてふらふら〜ふらふら〜した感じがしてしまいます。

というのもまた真実です。この点において感情移入を妨げられる人は多いのではないでしょうか。「何故祐巳はそんな人を受け入れるの」──と。『ロサ・カニーナ』での由乃のように裏切ったわねと言いたくもなりましょう。

しかし祐巳は(やはり『ロサ・カニーナ』のときのように)何故そんなこと言われるのか分からないと思います。そこが祐巳と他の生徒との、ひいてはほとんどの読者との決定的な違いであり、彼女が多くの人に好かれる理由になっているような気がします。

──なお、祐巳以外の人間が瞳子や可南子を受け入れているかというと。

えーと、つい先日に祥子視点の物語も出てきてないと書いた舌の根が乾かないうちで恐縮なんですが、『チャオ ソレッラ!』収録の「紅薔薇のつぼみの不在」で祥子さまの視点が端的に表されていますね。

なお、マリみてTTのワトソンさんによると、

祥子さま視点初登場、ここまで祥子さま視点が無かったので読者を期待させていたが、あっさり登場

とのことですが、確かにあっさりでありながらも重い一編であるように思います。いつになくキャラを突き放している感覚がそこはかとない不気味さを醸し出しています。最後の一行、

そして二人は、それから静かな部屋の中で一杯ずつお茶を飲み干すと、それぞれの家へと帰っていった。

──なんて、見事な突き放しっぷりにゾクゾクしませんか?