フォントと一緒じゃ通じまい(パクリ問題)

今更のようにも感じられるオレンジレンジの盗作問題が、ゲンダイネットの2/6付けの記事で取り上げられていました(日刊ゲンダイでの掲載は2/3)。

この話題については、糾弾◆ggIchIOMTk氏によるオレンジレンジパクリ糾弾サイトに詳細が載っています。

オレンジレンジの姿勢は、合言葉は<<パクろうぜ!>>です!という彼ら自身のコメントに端的に表れているように、パクリという行為に対する自覚のなさと言えましょう。

先月かーずさんとこで紹介されていた「許斐剛の、不気味な無邪気さ」という記事のコメント欄でも、テニスの王子様の作者との共通点としてパクリに対する「無邪気さ」が指摘されています。

他人の著作物を明らかにパクっておいてそれに罪悪感を感じない人たちというのはどこのジャンルでも一定の割合で存在するのかも知れません。

そういう人は他の人の著作物を文字のフォントかなんかと一緒だと思っているという話を聞いたことがあります。つまり、道具もしくは材料としてはじめから用意されているものだと認識しているというのです。

もし私がフラッシュを作ってるときに「やっぱここは丸ゴシックだよな」とか考えるのと同じセンスで「やっぱここはミスチルだよな」とかやってるんだとしたら、彼らが人の作品を自分の作品にそのまま流用することに抵抗がないのは当然でしょう。

そういう人たちはまるっきり無自覚なので、パクリ云々を指摘しても話が通じません。彼らにとってそういう指摘は、例えば「この文章にはMS明朝を使っているじゃないか! 他の人が作ったものを勝手に使っちゃダメだ」と言われてるのと同じだ、という話なんですね。そりゃキョトンとするほかありません。

私がこの話を聞いたとき、非常にわかりやすい例えだなと思ったのですが、もし本当にそういう認識でいるとしたら彼らとの溝はかなり深いことになります。