はて、「たかしと父さん」はどこが面白いんだろ。
『苺ましまろ』で美羽が動かずに終わる話がラーメンズのコントの「たかしと父さん」と似てると書いたんですが……。
49話では美羽は静かにしていますから、当然
美羽≠父さん なわけですが、かといって
美羽=たかし ではありません。
たかしは話しかけてくる父さんを無視しますが、美羽は誰も無視していません。
まぁ積極的に行動はしませんが。
行動しないというギャグが共通しているからといって、2つの構造が同じって言うのは
ちょっと短絡的な気もしますが…。
あー。
これは私の書き方が悪かったですね。「何もしない」のが同じ──じゃなくて、「説明はなく何もしないで終わる」のが同じ──だと思ったんですよね。
「何もしないでひたすら無視する」だけだとぶっちゃけコントとしてはありがちじゃないですか。そこんところをラーメンズの小林さんはひとひねりします。
その一つの形が「説明はなく何もしないで終わる」という終わり方だと私は思うんですね。例えば、推理小説だと思って読んでたら事件は迷宮入りで終わりました──的な落ち着かなさを感じさせるように観客に対して作り手の意図をミスリーディングする、というような。
「行動しないというギャグ」ももちろん共通点な訳ですが、言ってしまえばそれはまだ普通のコントの枠組みの話です(あ、ここでいう「普通のコント」というのは「読者や観客が困惑しない程度に普通」という意味だと思ってください)。それよりむしろ「観客に対して作り手の意図をミスリーディングする」というメタなレベルにおいてこそ2つには共通点があるのだと私は思っています。
ちなみに「たかしと父さん」にはもう一つひねってる箇所があって、それは何もしちゃいけないはずの「たかし」がこらえきれずに笑うところです。ですから(上記の記事とは別の方の意見ですが)、
あくまで反応しないあの状況ではなく、反応してはいけないのに笑いを我慢している小林さんが面白いのだとおもっていた。
という感想は非常に当を得ていると思います。