ラノベは形而下には存在しない。あるいはクオリアとしてのラノベ。

この記事の表題はまじめに言ってるのではなくて一種のパロディなんですが、それはそれとして、かーずさんとこで紹介されていた下記の記事について。

ぶっちゃけ内容的には赤川次郎の作品はほとんどがラノベだといって構わないと私なんかは思うのですが、「えー? そうかぁ?」と言われたら「あ、いや、ラノベ的、というか、ね」と補足してしまうくらいには自信がありません。

うーん。でもコバルト文庫で出ている『吸血鬼はお年ごろ』シリーズなんかは完全にラノベですよねえ。現状だと絵がアレなので何ですが。

そういえば(吸血鬼つながりというわけでもないですけど)田中芳樹の『ウェディング・ドレスに紅いバラ』が『咲』の小林立のイラストでリバイバルされてましたが、これは商売としてはうまくいっている気がします。「一粒で二度おいしい」的な。『…お年ごろ』も同じ戦略をとるべきですよ。そしたら名実共に完全にラノベの仲間入りです。

もっとも、(やはり吸血鬼ものの)『ヴァンパイヤー戦争』も武内崇を表紙にした新装版が出てましたが、あれは結局無理があったように思います。無論、買った人は多かったでしょうけど、内容的に。同様に夢枕獏魔獣狩りシリーズや菊池秀行の妖魔シリーズのイラストを萌え絵にしたって限度があります(『エルフェンリート』みたいになったりして。それはそれでもはや別の作品ですが)。

下に続きます。

[rakuten:book:12079617:detail]
ウェディング・ドレスに紅いバラ (集英社文庫)

ウェディング・ドレスに紅いバラ (集英社文庫)


「迷ったらラノベじゃない」

整理法の話題で「迷ったら捨てろ」とよく言いますが、ラノベの定義の話題では「迷ったらラノベじゃない」としとくのが安全かも知れませんね。

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)

例えば小畑健の表紙がついた『人間失格』は、まあ定義の仕方によってはラノベと呼ぶことも可能なんでしょうけど、ちょっと迷いますよね。「じゃあ、これは違う。ラノベじゃない」──てな感じで。

銀河英雄伝説』シリーズも、ちょっと迷ったからアウトです。これはきっと何か別のモノです。

――ということを繰り返していくと最終的にラノベと呼べるものはなくなってしまい、残るのはユーモアミステリーとかアクション小説とか伝奇バイオレンスとか私小説とか「SFなんだか歴史小説なんだかよく分からない何か」とかになってしまいます。

それでも苦労して「これはラノベだ」というリストを作り上げたとしても、「これがラノベでなんであれはラノベじゃないんだ」という物言いがまず必ずついて、「あー、じゃあ、これもラノベじゃない、ということで……」となり、それが繰り返されて結局「これはラノベだ」リストは空になります(逆に「じゃああれもラノベにしましょう」と言ってしまうと今度は世の中のすべてのものがラノベになっちゃいますのでそれもNGです)。

つまり、「迷ったらラノベじゃない」とすると、(極言すれば)ラノベってのは概念だけがあって実物は一つも存在しない、という状態になってしまいます。

存在しないラノベ

もっとも、概念はあるけど実物としては存在しないものなんて沢山あります。もちろん、愛とか勇気とか萌えとかそういう抽象的なものじゃなくて、です。

例えば幾何学では普通「線」は「幅のない長さ」とされますが、そうすると紙に書かれている線は「線」じゃありません。幅があるからです。ていうかこの定義だと現実には「線」なんて存在できません。

まあ、実際にはみんな(数学者ですら)そこまで頭は固くなくって、紙に書かれているアレを「線」だと見なして話を進めています。

とはいえそれにも限度があって、「これは線というより長方形だろ」「いやギリギリ線じゃね?」とかいう感じの境界にあるものが出てきたときに困ります。

ここで「定義」を持ち出すと話がややこしくなるんですね。だって「線」の定義を確認して厳密に適用したら、いままで「線」だと見なしていたものまで「線」じゃないということになっちゃいますからね。

「じゃあ、定義を変えよう」としても、恐らくうまくいきません。「今まで線だと見なしていたもの」が必ず入るような定義をすると、副作用としてほぼ確実に「今まで線だと見なしていなかったもの」がそれに含まれるような事態になります。

きっとラノベも同じ問題に陥ります。いま「ラノベか非ラノベか」の議論が混乱している理由は定義がきちんとしていないからのように見えますが、将来仮にきちんとラノベが定義されたとしても、それにより境界にあるものを判定できるものになるとは到底思えません。

現実には「線」が存在し得ないのと同様に、現実には「ライトノベル」は存在しないのかも知れません。プラトンイデア論的な考え方ですが。

あなたが見ているラノベは私が見ているラノベじゃないかも知れない

そんなわけで「ラノベは形而下にはない」という結論に達するわけですが、その一方で、何か本を読んで「これはラノベだ」と思ったり思わなかったりするということは事実としてあります。しかもそれは人によってかなり異なるわけで。

つまり「同じものを見ているはずなのに同じように見えてるとは限らない」という。おお、これって茂木健一郎がいうところのクオリアじゃないですか。

そうか、ラノベクオリアだったと。クオリアじゃしょうがないですね。

ところでクオリアといえばエロチック街道のヘッド氏のはてブにあったジャズミュージシャンの菊地成孔による下記の発言が非常にツボでした。

「茂木さん椎名誠に似てると思うんだけどこれもクオリアですか。こう、この、質感の」

これはクオリアでしょう。

だーがしかし、答えは無芸大食。「全然違うよ(憮然)」

えーっ。