お約束だよ! ドクロちゃん

先日の日記(id:okgwa:20040309#p1)で触れた『撲殺天使ドクロちゃん』は、いわゆる「おしかけ女房型」のカテゴリに分けられるのですが、それで片づけてしまうことができない違和感を感じます。

この違和感を、私の友人は以下のように分析します。

創作のアイディアは飽和状態にあります。今さらまったく新しいアイディアの作品に触れることは不可能に近い状態です。アイディアがほとんど出尽くしていて、読み手はそのほとんどのアイディア(が採用された作品)に既に触れている。ということは、お約束とかパターンとかを説明抜きで使っちゃっても全く問題ない、説明は放棄して構わないということに作家が気づいてしまったのだ、と。その結果が『ドクロちゃん』なのだそうです。

1巻で、ドクロちゃんは勉強机の引き出しから出てくるのですが、我々は既に『ドラえもん』に触れていますからそのことに別段驚きません。『ドラえもん』では机の中が超空間になっているということで説明していましたが、『ドクロちゃん』では特にそういった説明はされません。でも、読者は受け入れる。

さらにドクロちゃんは怒ると主人公を撲殺するのですが、我々は既に『うる星やつら』に触れていますから、別段驚きません――

――って、それはさすがに驚くって!

驚くのですが、やがてそれも読者は受け入れます。主人公の桜くんが撲殺される風景も、慣れてしまえば日常です。電撃が撲殺に入れ替わっただけじゃないですか、はっはっは。それ言ったら『シティーハンター』の 100t ハンマーだって即死ですって。

ただ、敢えて言うならば『ドクロちゃん』が他の作品と一線を画するのは、本当に殺してしまうというところですね。しかもその描写がやけに細かい。

僕の胸から血の華が咲きました。ドクロちゃんが背後からエスカリボルグで貫いたからです。そのまま、大地にエスカリボルグというピンで留められた昆虫みたいになった僕。そのバットを伝い、地面に流れ出した血液がじわりじわりと広がっていきます。

マンガやアニメならペタンコになるか、でっかいたんこぶができて終わるところが、某ビジュアルノベルの DEAD END みたいな描写になってしまうあたりが、この作品の変なところですね。毎回毎回桜くんは妙にディテールに凝った死に方をしてくれます。

そう、ディテールこそがドクロちゃんの本質だと思われるのです。1巻では画期的に思えた『ドクロちゃん』も、3巻まで続くとさすがにマンネリになってくるという意見が見受けられますが、『ドクロちゃん』はどこも新しくありません。いわゆる押しかけ女房型で、特技が電撃じゃなくて撲殺に置き換わった「だけ」です。

だから『ドクロちゃん』は最初からマンネリな作品だったのです。

つまり『ドクロちゃん』は最初からディテールしか読むべきところはなく、まさにそこを楽しむべきなのが『撲殺天使ドクロちゃん』であると言えましょう。