「予見可能性」は証明不能ではないかと

上の記事にも関連した話なんですが、最近、「予見可能性」の問題が多く議論になっている気がします。

例のイラク邦人人質事件でも、「いまイラクに行ったら危ない目に遭うのは当たり前なのに、予見を欠いたためにこんなことになった」というような意見が見られましたし、いま一番ホットな話題の「Winny 開発者逮捕」についても、京都府警の主張は「著作権に違反する利用がされることを予見していながら開発を続けた」ということになっています(予見という言葉は使われてないかもも知れませんが)。

私が「予見可能性」なる言葉を最初に聞いたのは薬害エイズ訴訟のときでした。非加熱製剤の使用を強硬に主張した安部英医師は、それによって HIV が蔓延することを予見できたはずだということが問題になったのですが、状況証拠は一杯揃っているのに予見可能性の程度は低かったということで結局無罪になってしまいました。(Ref. 安部判決意見要約)

これは一般に「予見可能性」って証明できないってことなんじゃないかと思うんですね。そうすると Winny著作権に違反する用途で用いられることを作者が予見していなかったわけはないんですが、それを証明するのは困難じゃないかな、と。専門性が希薄ならば「常識」で判断できるところなんでしょうけど。