ちびくろサンボと同じノリだったのか
朝日新聞大阪版の「法規制で幼女守れ」 NPO代表近藤さんという記事で、NPO法人「カスパル」代表の近藤さんが、記者のアニメや漫画の少女に基本的人権があるのでしょうか?
という問いに、
絵で描かれていても、少女たちの人権を侵していることには違いありません。
と答えた件が物議を醸しているようです。
これだけ読むと、なんだか近藤さんはアニメや漫画の少女に人権を認めていて現実と虚構の区別が付かない人みたいに思われてきます。
でも、カトゆーさんとこの戯れ言で紹介されていたさいきゆみさんの2005年1月11日の日記を読んで、いわゆる「人権派」の思考回路がすっきり分かった気がしました。
あなたは 例えば日本人のキャラクターが けちょんけちょんにアメリカのコミックで「日本人だ」という理由で、裸にされてもてあそばれていたら
それは日本人の人権を無視されたことにはならないと 思われるのでしょうか?
これは(ある意味で)非常にうまい例えです。この人はそういう風に問題をとらえていたわけですね(そう思って記事を読み返すと言いたいことが伝わってきますが、質問と回答がきちんと対応していないのでわかりにくくなっています。記者のまとめ方があまり良くなかったと言えましょう)。
ただ、こういう見方をすると、これは『ちびくろサンボ』を絶版にしようとする話と同じノリですよね。
『ちびくろサンボ』も特に特定の誰かを差別しているわけではありませんが、「人権派」にとってはまさに「同じこと」なのでしょう(ちびくろサンボ自体が差別的な作品か否かについては文教大学人間科学部の講義資料をご参照ください)。
このような、各論と総論を一緒くたにして人権侵害と見なすような思考は結構危険だと私は思っています。そういう思考を容認することはですね、例えば次のような言説を容認することに他ならないわけです。
あなたは 例えばオタクが けちょんけちょんに新聞で「オタクだ」という理由で、児童買春と同じような扱いがされていたら
それはオタクの人権を無視されたことにはならないと 思われるのでしょうか?
これは明らかな「オタク差別」です。人権侵害もいいところです。これをもし容認したとすると、これはまさに近藤さんがやってることと同じですから、近藤さんが自ら人権侵害をしていることになりますよね。
「日本人の人権侵害」と「オタクの人権侵害」の違いはどこにあるのでしょうか。
予想される意見として、「人種差別には理由がないが、オタク差別には理由がある」というのが挙げられますので、そういう人向けに「理由があるなら障害者差別は構わないのですね?」と書いておきます。
さらに、「障害者には本人の責任はないが、オタクには本人の責任がある」という人向けに「それなら学歴差別や職業差別は構わないのですね?」と書いておきます。
それぞれの差別についてどう考えるかは非常に興味深い問題ですが、今はそういう議論はあんまり意味がありません。
ここでのポイントは「そう簡単に各論と総論を一緒くたにして人権侵害だと主張して構わないのか」ということです。
私は、そういう考え方はいい結果を招かないと考えています。上記で挙げたように主張の一貫性を失うことになりかねないからです。
しかしながら、意図せず各論と総論の区別ができない場合というのは数多くあります。特に対象についての知識が足りないと、その区別をつけるのは困難です。かといって、我々は「すべての専門家」にはなれないわけですから、そう簡単に解決する問題ではありません。
実はこの問題は極めて根が深いのでは、という気がしてきました。