人権擁護法案反対フラッシュの功罪
先日、人権擁護法案反対フラッシュについて触れたところ多くのコメントを頂きました。
先日の記事ではフラッシュの主張の是非には踏み込まず、エンタメとして云々という話に留めましたし、頂いたコメントも基本的にそれに添ったものでしたが、私の中ではこの問題はそれだけでは済まないという認識が強まりつつあります。
つまり「主張の是非」について考えないわけにはいかないのではないか、ということです。
というのは、記事で紹介させて頂いた人権擁護法案について(デスノート風)FLASH版について、非常に綿密な問題点の指摘がなされているページを読んでしまったんですね。
これに対して、作者側からの反論もありました。
- 反論(全文引用しながら反論されています。赤字が反論になっています)
これらを両方読んだんですが、両方の主張を咀嚼した上で是非を判断するのはかなりしんどいです。ぶっちゃけた話、「人権擁護法案について(デスノート風)FLASH版」を観た人みんながみんなこれを読むとは考えられない内容です。
さて、件のフラッシュのページにはFLASHの意図
として、次の4点が挙げられています。
・まずは、この法案の危険性を知ってもらうことが必要と判断し FLASHを制作・展示しました。
・テキストすら読むのが面倒な人向け。要点と事実のみを抜粋する。
・興味が沸いたらFLASHの内容だけで消化せず、色々なサイトを回ろう!!
・このFlashは、「現行法で救われない被差別者がいる」
「人権差別撤廃委員会の最終見解によって法整備が求められた」ゆえに
成立しなければならない「人権擁護」のための法案を否定するものではありません。
まあ、最初の点と最後の点については異論はないんですけど、間の2点には「異議あり」です。
まず要点と事実のみを抜粋する
とありますけど、このフラッシュは「事実」の提示というよりは「主張」のフラッシュです。
「事実」というのは立場が異なる者にとっても否定できないものを指します。
もちろんフラッシュでは「事実」も提示されているんですけど、同時にその解釈も提示されています(むしろそちらがメインです)。
事実を解釈した結果は「主張」です。
そういう内容になってるフラッシュを要点と事実のみを抜粋
したものだとするのは(「要点」に解釈と主張が含まれる可能性があるにしても)ちょっと詐欺な気がします。
一歩譲って、このフラッシュの内容がすべて事実のみで構成されているとしても、それは法案反対の立場から取捨選択されています。取捨選択された事実は「主張」と何ら変わりません。
以上をふまえた上で、次の点。
興味が沸いたらFLASHの内容だけで消化せず、色々なサイトを回ろう!!
という記述。勧めに従って私もそうしましたけれど……
……しんどいですって、これ。
この法案を巡っていろんな立場の人たちがいて、それぞれ異なった主張をしています。色々なサイトを一通り見ていくうちに、いろんな立場の人がいる中での「このフラッシュの位置づけ」が見えてきます。
逆に言うと一通り見てみないと、このフラッシュの位置づけが見えてきません。このフラッシュしか見ずに抗議活動とかしちゃうと、とんだ的はずれなことをすることにもなりかねません。
「そのための注意書きです」──ということなんでしょうけど、(繰り返しますが)ちゃんと調べるのはやたらとしんどいんです。
「色々なサイトを回」ったと言うためには、少なくともこれから挙げるサイトは全部見て回らないといけないと思います。
- この法案が提出されることになったいきさつを知る…人権擁護法案10年史
- 反対派の立場を深く知る…人権擁護(言論弾圧)法案反対!
- 反対派批判の立場…人権関連法案に関するまとめの手助け(臨時)
- 在日外国人の意見…人権法案を問う 辛淑玉さんインタビュー
- 改善案…ここらで対案でも考えてみないか
なお、私の立場に一番近いのは下記のサイトだと思いました。
なお、この記事について下記のエントリが有用だと感じました。
……これ、全部読むの大変ですよ(これでもかなり絞っていて十分とは到底言えません)。
普通の人はいと忙し日々に追われてこれを全部読むのはかなり厳しいと思います。でもそうしないと、フラッシュが示しているのはあくまで「主張」であるときちんと認識するのは難しいと思うのですね。
と、ここで最初の方の話に戻ります。
フラッシュへの批判に対して、作成者側はFlashの意図を全然理解しておらず、貴方自身の勝手な思い込みだけで、批判を行っているようです
と一蹴していますが、私はこのフラッシュの構成ではその「意図」が達成されないという気がしてなりません。
ある立場に基づいた「主張」がメインの内容である上に、かなりきちんと調べないとその「立場」が見えてこないフラッシュが賛成/反対にかかわらずまずは、この法案を知ってもらう
という意図で作られたものだというのは到底受け入れがたいと私は思います。
デスノート風フラッシュに限らず、今までいろんな「職人」方によって作成されたフラッシュがこの法案を広く知らしめたのは確かであり、それでこそフラッシュとしての役割を全うしたとも言えましょう。
しかしながら、その大きな功績の裏で、(語弊を恐れず言えば)「無知な反対派」を徒に増やす結果になりはしなかったのか、そしてフラッシュ作成者はそれに対し一切責任を負うことはないと言えるのか、私は大いに疑問に思うのです。
「さいたま〜を叫ぶオフ」などという実にくだらないものに対してですが、今までさんざっぱらフラッシュを宣伝に使ってきた私の自戒も込めてそう思うのです。