そろそろゲームのリアルとナチュラルを分けるべきでしょう

やはりかーずさんとこで取り上げられていた記事について。

ゲーム機の処理性能が上がって、「より現実に近い」表現(画像や動きなど)ができるようになった訳ですが、そのこととゲームに感じるリアリティとは別なんですよ、という話。

私もこの意見に大いに賛成です。例えば正しい物理演算なんて、ビリヤードゲームとかを別とすれば全くの蛇足です。レースゲームにしたって、現実とはパラメータを少し変えてあるからゲームとして楽しいのであって、現実に即したものを作っても運転シミュレータにしかなりません。

とはいえ、やっぱりゲームにもそれなりの現実感が欲しいというのは当たり前の欲求です。そんなわけでゲームの世界でもリアリズムが追及されてきました。

ところで「リアリズム」は「写実主義」と訳されますが、一方で「ナチュラリズム」も「写実主義」と訳されることがあります。

一応程度の違いがあって、ナチュラリズムの方が「ありのまま」感が強いようです。つまり、リアリズムよりナチュラリズムの方がより「リアル(現実)」に近いという、訳の分からんことになっています。

──で、昔はゲーム機の性能の問題で、いくら現実に近づけようとしたところで到底それに及ぶことがありませんでした。したがって、ゲームのリアリズムとナチュラリズムとを区別する必要もありませんでした。

今でも現実っぽいゲームは全て「リアルなゲーム」という言葉で済ませています。しかし我々がゲームに感じるリアリティと本当の「現実」との間には大きな溝があります。

その違いは実はリアリズムとナチュラリズムの差だったりするんじゃないでしょうか。

「リアリティを追求」というときに、それが「プレイヤーに違和感を感じさせない(ような現実感)」という意味合いなのか、それとも「厳密に現実に近づけていく」ということなのか、区別されていない気がするのです。

それじゃ困るので、前者を「リアル」、後者を「ナチュラル」と呼び分けると混乱が少なくなるんじゃないかなー、というのが上記の記事を読んで私が思ったことなのでした。