結局「そんな言い方誰もしないよ!」をどう解釈すればいいのさ
可愛げがあればツンデレだと思えますけどねにおいて、出された問題を間違えたときに「自分は馬鹿ではないことを自分が納得し、かつ相手に伝える」ためにとる手段として次のようなパターンが考えられると述べましたが、
- 手段1B:「知らないのは仕方ないんだ」と思う
- 手段2A:「相手がおかしいんだ」ということにする
さて、「そんな言い方誰もしないよ!」という言い回しをもって直ちに『「相手がおかしいんだ」ということに』しているといって構わないんでしょうか。
私の考えは、「ほとんどの場合構わない」です。その理由について引き続きしっぽさんのエントリから引用しながら述べます。
で、ここで小学生が言ってるのは
「そんな言い方誰もしないよ!」
であって、この場合の主語「誰も」は、みやきちさんも分かっておられるように「We」なんですよね。
正確には、子供の主観における「世間一般」だと思います。その『子供の主観に於ける「世間一般」』が「We」とほぼイコールなのではないでしょうか。
また、こういうことを言ってしまう子供が意識して「世間一般」と「We」とを分けているというのは考えにくいと思います。むしろ、まだ分けられないから「そんな言い方僕らはしない」ではなく「そんな言い方誰もしない」となってしまうのでしょう。
まあ、いずれにしても「誰も」が「We」を指しているのは確かかも知れませんね。でもそれと同時に『子供の主観に於ける「世間一般」』も指している──というのがここでのポイントだと思います。
とはいえ、しっぽさんはこれを「穿った見方」だと仰るかも知れません。子供たちは「世間一般」を指しているつもりはないはずだ、と。
じゃあ(じゃあってなんだ)、それでもいいです。とりあえずすぐ次の話には影響ありませんので保留にして、「誰も」は「We」だとしておきましょうか。
続けます。
つまり
「僕らはそんなことは知らない」
と言っているわけです。
ここは「つまり」ではつながらないでしょう。
最大限好意的に解釈しても「そんな言い方誰もしないよ!」が意味するのは「知らない僕らは悪くない」ということじゃないんでしょうか。しっぽさんもそういう認識でいらっしゃると思っていたんですが。
並べてみましょうか。
- 「そんな言い方誰もしないよ!」→「僕らはそんなことは知らない」
- 「そんな言い方誰もしないよ!」→「知らない僕らは悪くない」
私には後者の解釈の方がしっくり来ますけれども、どうでしょうか。
もちろん、後者にもちゃんと「僕らはそんなことは知らない」という事実は含まれています。例えば……
- 「僕らはそんなことは知らない」──なぜならば、「今まで習わなかった」かつ「周りの人も使っていない」──したがって、「知らない僕らは悪くない」
……という感じに。
だからって、「僕らはそんなことは知らない」としか言ってないみたいに言われると「いや、そのりくつはおかしい」と言いたくもなります。
従って、
これを
「あなたが(大人が)おかしい」(もしくは「使わない僕らのほうが正しい」)
と言っていると取ってしまうというのは、いかんせん理論に飛躍があると思うんですけどどうでしょう?
についての私の意見は、「そもそも論理の飛躍はその前にある」です。
でもって、「知らない僕らは悪くない」と「使わない僕らのほうが正しい」の間はそんなにはかけ離れていません。それこそ言い方によっては勘違いされても仕方がない物言いだと思います。例えば、「ものすごく馬鹿にした口調」で言うなどすれば。
……なのですが、「そんな言い方誰もしないよ!」というセリフが「あなたがおかしい」と主張していると解釈される本当の理由は別のところにあります。
要はこの解釈をする人は、前述した〈「誰も」は『子供の主観に於ける「世間一般」』を指している〉という立場をとっているんですね(これが仮に「=We」だとしてもです)。
この立場で考えると『子供の主観に於ける「世間一般」』は正しくて「それ以外」はおかしい──という構図になりますね。ここで、「それ以外」は目の前にいる先生のことしか指しません。このときの子供には「大人一般」のことなんか眼中にないはずです。
ですから、「あなたがおかしい」と「あなたが(大人が)おかしい」は、この文脈においては意味が全然異なり、前者の解釈は妥当で、後者の解釈はそれこそ「穿って見過ぎ」の拡大解釈となります。私には、しっぽさんは拡大解釈を元にして「あなたがおかしい」という解釈の妥当性を必要以上に非難しているように思えます(いや、まあ、実際のところは「そう思われてもしょうがないんじゃないですかねー」程度のことですが)。
繰り返しになりますが、『「相手がおかしいんだ」ということにしている』からと言って、直ちに『「相手がおかしいんだ」と思っている』ことにはなりません。かといって、その可能性はゼロであるとも言うことはできません。本来なら「場合による」話です。
みやきちさんのエントリは「思っている場合」について、しっぽさんのエントリは「思っていない場合」について語っているだけで、同調する人しない人はそれぞれどっちかの場合のことしか考えていない……という話なのでしょう。
いずれにせよ、『「相手がおかしいんだ」ということにしている』のは確かだと思いますので、それすら違うと言って(いると思われて)しまうと必要以上の非難を浴びる可能性があって、しっぽさんはまさにその状態なんじゃないかなー、と思います。