みんなが同じ事を書くことに意義がある。既出上等で気軽に書かなきゃダメだ。

日記の更新が滞るようになってずいぶん経ちます。書きたいことは沢山あって、「neta.txt」のファイル容量は毎日着々と増えてはいるのですが、記事としてより高い完成度を求めて推敲を繰り返し、アップロードをためらっているうちに鮮度が悪くなってしまいお蔵入りになる──というパターンを何度も何度も繰り返しまして。

失敗の元は「一つの記事で完結させようとしたこと」に尽きます。例えばちょっと前の話題ですが次の記事について。

飽くまでこれ、「ドラクエの」話なんですよね。少なくともドラクエの元となったコンピュータRPGの一つのウィザードリィでは「マジックポイント」でした。たぶん「マジックパワー」というのは堀井雄二氏のアレンジです。

とまあ、この程度で済ませればいいのに、「じゃあもう一つの元祖のウルティマではどうだったか」とか「ウィザードリィの元になったダンジョンズ&ドラゴンズではどうだったか」とか「テーブルトークRPGでは『マジックポイント』であることが多いようだが」うんぬんかんぬんと、調べだしたらきりがない。

きりがないのに、これらをすべて調べ上げないと公表してはいけないような、そんな強迫観念に迫られていました。

これに限らず、あらゆるネタについてこういうことやってました。『「すべての専門家」にはなれないのに』と自分で書いておきながら、自分がその「すべての専門家」になろうとしてたわけです。

これと関連してもう一つ、「既出」を極度に恐れていました。だから関連しそうなキーワードでひたすらググるわけです。さすがにネットは広大で、基本的にはどっかで誰かが似たような事を書いています。それにプラスアルファを──と考えて、また終わりのない調べ物の旅が始まるという……。

こんなことやってたら何も公表できないのは当然です。

いまの時代、半ば脊髄反射で思いついた事を書くのが吉ですね。間違ってたら気づいた人がコメントするなり、はてブで言及するなりしてくれるのが最近の傾向のようですし。「すべての専門家」にはなれないんだから、それはちっとも恥ずかしいことではない。はず(もちろん専門家のふりして──あるいはそう誤解されるような書き方で──適当なことを書くのはまずいですが)。

既出も、これを恐れてもしょうがない。みんなが同じことを書くということにはやっぱりそれなりの意味があるはず。

発言小町のトピックでは、よくみんなが同じことを書いてることがあるのについて、同じ内容のコメントがどっさり付いているのって、どうも生産性が低いというか、建設的でないように思うという指摘もありますが、これはこれで「『みんながそう思った』という情報」としての意味があるんじゃないかと思うわけです。

今はまだ無理ですがそのうちGoogle(あるいはそれに準ずる何か)が、みんながバラバラに書いた記事を集約して全体の主張として纏め上げるような仕組みを構築するはずです。そんな未来は絶対に自分が生きてるうちに訪れるのですから。

そんなこんなで、そんな未来で役に立つ記事を書くために適当に書き散らすスタイルに変えようと思った今日この頃なわけです。