「まだ許さん」をいつまで続けるのか
ずいぶん前の記事ですが、動員される「チャンネルボーイ・チャンネルガール」によると「モナティッシュ運動」なんてのがあるそうで。
のまネコ問題を考え、少しでも何かしたい人による、何かしたい人のための、何かをする運動。
なんだそうですが、こういうのを地方の女子高生がやってる
という話。
あと、(敢えて晒すようなことはしませんが)小中学生が作ったと思われるビラがふたばの二次元板にアップされてたりしました。誤字脱字は多いですし、不用意に友人(と思われる小学生)のウェブページのアドレスを書いてたりして稚拙にも程があるのですが、本人が真剣なのは伝わってきます。
まあ、まとめサイトとかを見てその気になっちゃって……というのは小中学生にはありがちな話ではあるんですけど、子供がこういうことを始めたらたしなめるのが大人というものでしょう(残念ながらこの子の周りにはそういう人がいないようです)。
こういうのを目の当たりにすると言いようのない違和感を感じますね。id:kanoseさんはこれは昔の左翼運動と変わらない
と指摘しますが、私も同感です。小林よしのりの『脱・正義論』を思い出しましたもん。
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この作品では自己の実存を求めて「運動」にはまっていく若者達が描かれているわけですが、程度の差こそあれ「モナティッシュ運動」なんて、まんまこれですよ。
id:kanoseさんはさらにこう続けます。
そして、この女子高生のサイトを見て思い出したのが、サイコドクターの風野春樹さんによる「押しかけ厨」の研究で引用されていた香山リカ氏が映画『ギャラクシー・クエスト』について触れている文章。
私がむかし書いた文章にも「自分にとっての集団の価値 集団にとっての自分の価値」というのがあるんですが、普通の人間にとって「世間にとって自分に価値がない状態」というのは苦しいんですね。誰しもそうだと思います。
日頃その点について満足している人はそれでいいんですが、そういう機会や場所に恵まれない人は「運動」にハマりやすい、という話なんですね。
たちが悪いことに、そういう理由で始めた運動は自己の実存を守るための戦いですから、いつまで経っても終わりがありません。
終わらせてしまったら、またあの鬱々とした日々に戻ってしまうからです。それは、耐えられない。
のまネコ問題についてはavexが完全に白旗を揚げていると言っていい状況であるにもかかわらず、運動の総本山と言えるエイベックスのまネコ問題まとめサイトではまだ終了宣言は出されていません。
なお、このページからavexが公式にのまネコ問題について謝罪し、今後ロイヤルティを取らないと宣言しました。あなたはこれでこの問題は解決したと思いますか。というアンケートにリンクされているのですが、そこには「謝罪しても未来永劫許さない」なんて選択肢が用意されています。ジョークならそれに越したことはありませんが、現時点で1割弱の人がこの選択肢を選んでいます。数にして1000票以上で、決して少なくはありません。
「まだ許さん」「まだ許さん」を永遠に繰り返すわけにはいかないのに、この運動は一体どこまで行くのでしょうか。
もちろん、ロイヤリティ放棄がavexにとってほとんどダメージがないのは承知です。avex発のコメントの細部について納得がいかないという意見があるのも分かります。関連グッズは全面的に販売停止にすべきだという立場もあるでしょう。
それでも、のまネコ問題はひとまず終わりにすべきです。
こんなことをわざわざ私が書くのも、以前のエントリで私が無責任にこの運動を煽るようなことを書いてしまったきらいがあるからです。積極的に否定していない以上、私にも多少なりとも責任があるでしょう。
私がいま心配でしょうがないのが、あちこちで行われているというビラ配りオフです。
関連スレを大規模オフ板になんか立ててますけど、大丈夫なんですかね。この板にはいわゆる「出会い系」の何かを求めている人がウロウロしてるのに。そういう人に目をつけられたらいいカモにされちゃいますよ。
しかも参加しそうなのはティーンエイジャーばかりときたら格好の餌食です。
その点、かつての「さいたまを叫ぶオフ」の幹事は、特に小中学生の参加者についてはものすごく気を遣っていました。まず、なるべく保護者同伴で来るよう促し、それでも来ちゃう人は来ちゃうので、事故が起きないように最善を尽くしていました。
しかし、これも日頃から親交があって信頼できる人達の協力が得られるという前提があってのことです(これには私も微力ながら協力したつもりです)。そういう努力を惜しむのであれば、憎まれ役を買って出てでもダメなときは「ダメ!」とはっきり言うのが二十歳越えた人間の役割だと思います。
もちろん、何もなければそれが一番なんですが……。